10年以上悩まされたパニック症だとおもう症状に解放された瞬間 その1

かつて密かに長くひとり悩んでいたパニック症らしき症状

結局病院に入ってないので、ほんとうにパニック症という病名だったのかは不明ですが、たぶん本やテレビで見聞きする限りそうなんだろうなっと思ってます。

今はほぼ完治。だけどここにくるまで長かった~10年以上。

終わりがないかと思っていたけど、終わりは来た。

そんな経験でも誰かの参考程度になるのかもと、数回に分けて書いていこうと思います。

克服の仕方はいろいろあるのでしょうが、その一例として。

もともと体力はあると自負していて、踊りの団体にも長年在籍して月に2回は3時間汗をかいていました。友だちとも楽しく笑い、遊び、飲みに行き自他ともに認める『健康』。

子どもの頃から苦手なのは閉所

私が子どもの頃アニメ『うる星やつら』で、財閥の息子でいつも同級生にマウントかけまくる面堂 終太郎が、暗所に閉じ込められると「暗いよ狭いよ怖いよ~」とパニックになるというお決まりのシーンに、爆笑していました。でもあれ、今になってみたらけっこう笑えないリアルな描写なんですよね。

閉所関連のトラウマ2回

1回目は、母と電車に乗っていると短いトンネル付近で電車が急停車。アナウンスもなくまったく動かない。だんだん不安になってきたけど、母と一緒なのでじっと待っていると、突然ナナメのお姉さんが胸を押さえて苦しそうにしだしました。

子どもの私としてはその様子でもひえ~~。

居合わせたサラリーマンおじさんたちが、窓開けて「病人出てるぞ~」と叫んでるのも怖かったし。

昭和の時代の電車で、車内通話ボタンとか無かったんだろうな。 40年以上も前のことだからね。

そのシーンだけ鮮明に覚えてて、のちに自分がパニック症になったとき突然あの苦しそうだったお姉さんを思い出しました。きっと電車トンネルの閉所で止まってパニック症の発作が出てしまったんだろうなって。

もう一つが、小学校2年生くらいのときに水泳教室のエレベーターに乗り込むと止まってしまいました。

庫内にはお兄さんたちなど5人くらいいて、「え~!!止まったの?どうしよう」とざわざわしはじめ、その中私は一人この世の終わりかと恐怖で心臓バクバクさせていました。

するとすぐにお兄さんが「行先ボタン押してないんじゃん」ってことで無事エレベーターは動き、なにごともなかったように笑って到着。

私のバクバクもすぐに収まったのですが、その時以来エレベーターというものに恐怖心。

よく父が付き合って階段でデパートとか歩いてくれましたね。懐かしい。

苦手感はありながらも、大人になると会社のエレベーターに毎日乗り慣れていきました。

これがのちに苦しむことになるパニック症と何か関連あるのかどうか。

体の異変は足のむくみからかも

私は最初に就職した広告代理店を13年勤めて転職しようとしていました。

そのころちょうど父がガンの闘病をしていて、2回目の手術のころと重なっていたかな。

気分的にはハイなかんじで、お見舞いも転職に向けた活動もサクサクこなしていたつもりでした。

そしたらある日、足がやけにむくんでるなぁと思ったら、数日後には靴がきつくなるほどむくんでしまっていました。

歩くのもダルいし、痛いし。

20分ほど歩く距離も、ふーふーいいながら。でも歩けないわけでもないし、がまんすれば歩けてしまうので仕事も普通にこなしてはいたけど。

むくみはどんどんひどくなり、見る人がびっくりするほど

さすがに普段まったく行かない病院へ行くことに。かかりつけがないので、地元の内科に行ってみると、紹介状を書くからすぐに大学病院に行きなさいと言われてしまいました。

ぜったいすぐ行けと先生がいうもんだから、ちょっとドキドキしながら紹介状持って大学病院へ。

検査の結果はちょっと忘れちゃったけど、ちょっと白血球の数値が高い程度だったとかで「虫刺されかな?」と先生が言った時点で

帰ろ

と思いました。

こんなに両足ぷくぷくに晴れてて、虫刺されっていっちゃうとこが、来ても無駄だなとおもい、先生が提案してくれた血液内科だかどこかへの検査は断って帰りました。

友だちが心配して一人暮らしの私の部屋に来てくれたのですが、玄関入って唖然としてる空気感じましたねー。かなりの汚部屋だったから。

というのも、会社とかには行けたけど、だるいのとやる気がないのが常にあって、座卓の下に落ちたティッシュやゴミを拾えないんです。

痛いとかじゃなくて、その気力が無い。だからどんどん部屋がちらかり放題になり、布団はひきっぱなし、服ぬぎっぱなし。

こうやってしばらくはフーフーいいながらむくんだ足をさすりながら過ごし、会社も無事退職しのんびりな日々がやってきた!

つづきはまた