50代にとうとう突入し、死生観というかこれからの時間の使い方についてやけに考えるようになっています。
20歳になりたての頃、1人でオートバイで北海道に行ったことがあり、その時バイクを電車に積み込み連結した夜行で旅立つ娘を上野駅まで見送りに来た心配顔の母。やけに小さく見えて「年取ったなあ」と感じた瞬間でしたが、考えたら今の自分より1,2歳若かったでしょ!
あ~私も世間からみたらそうなんだよ。
誕生日のお祝いメッセージをくれた友人とやり取りしていると、最後には老後の話しになり「老人になっても茶飲み友だちでいよう」となり、幼馴染とは親の病気の話しから最近自分もインプラントにしたんだなんていう話しなど健康にまつわる話しで盛り上がる。
40代になったときは、50歳までの10年間は体力の差はでるにしろ、それほど今と変わらずに行けるだろうと漠然とおもっていて、その通り楽しい充実した40代。
そして10年なんてあっという間に過ぎて、最近では「20年前も5年前も同じように先週のことのようだな」なんて曖昧な記憶が行き来してしまうわけです。
この感覚はそういう年になって初めてそう思うのであって、若者が年よりからそう言われてもピンとこないのはあたり前なのでしょう。でも若者に言ってしまうのです「あっという間に時間は過ぎるよ」って。
そして老後ってずっと先と思っていたのに50代になる直前から、急にその扉が開く感覚。
たったあと15年後には父が亡くなった年になり、高齢者と呼ばれる。
反対に振り替えると、15年前なんて昨日のことのように鮮明な記憶がありそれほど月日が経ったようには思えない日々。
なにもしないでボーっと生きてると、気が付いた時には体力・気力ともに減る一方で「あれもこれもやっときゃよかった」とありきたりなことを後悔する老後を送ってしまうのではないかと恐怖すら感じているのです。
で、誕生日の日に思ったのは、めんどうなこととか今興味あること、どんどんやろう。
そして今の状況でバリバリ動けて、何か先頭でできるのはあと10年だ!
大事に使おう。
丁度この決意表明した日、頼まれていた編集に修正が入り、ムムムッ!!と思う気持ちが起こりながらも、「やれることはやりつくそう」と、普段なら愚痴を一通り言って自分は悪くないとぶちまけてからやるところを「わかりました!」と気持ちよく返事できたのでした。
かわいく生きよう。